叶乃のつぶやきアレコレ

いろいろ書きたい事を書きます、不定期更新。

神社への参拝は自分の願い事を叶えて!!という場所では無い。

改めて、年があけました。

この年末年始は、どこかへ出かけたという方がいらっしゃるでしょう。

私は、映画見納めの日以降どこにも行ってません。本当に、玄関から1歩も出ていません。

ドアを開けたのは、宅配便が来た時だけです。

正月といえば、初詣です。

日付が変わってすぐに神社へ参拝しに行った方も居るでしょう。

なんで、正月だけ神社へ行くのって感じなんですけどね。

普段からちょこちょこ行っとけよ、て思う所もあります。

タイトルの通りにもあるように。

私は今まで、初詣を含め、神社への参拝には、【願い事をしに行く】所なんだと思っていました。

でも、実はそうじゃないってのを最近知りました。

神社への参拝をする意味、ただ神様に感謝をする所なんだと。

「神様ありがとう、昨年は怪我も無く健康に過ごせました。」と礼をする場所だと知りました。

だから、「今年こそ彼氏彼女ができますように!!」とか「宝くじ当たりますように!!」とか「志望校が受かりますように!!」って、まさに【神頼み】をする所じゃない。

なのに、わざわざあんな混雑な場所へ行き、シャレであろう「5円玉」を賽銭箱へ投げ入れ、鈴をシャンシャン鳴らし、2拍して、「さ!帰ろう!」なんて、神様からすれば「図々しい人だな」とか思われるかもね。

個人的に、

彼氏彼女ができるかどうかは、その人の努力と環境次第だろう。

宝くじが当たるかどうかは、全ては運任せだろう。

志望校が受かるかどうかは、その本人の努力とメンタルの強さ次第だろう。

と、冷静に思うわけです。

そして、おみくじに関しては【当たるも八卦当たらぬも八卦】て感じです。

おみくじを引いて一喜一憂するのは、まるで、子供のテストの点数の善し悪しで態度が豹変する親と、同等な気がします。

そして、毎年、餅を喉に詰まらせ、天からの使者のお迎えが来る人達も多数居ますが。

毎年毎年、学習しないのはなぜなの。

消防庁?だったかな、正月の時期が近づくと餅を食べる時には注意して下さいと、毎年言ってる。

なのにも関わらず、年明け早々に搬送されるという。

この時期に葬式すると、影に隠れては(多分、餅を詰まらて死んだんじゃないか)と噂される可能性もゼロじゃない。

つい最近までピンピン!してて元気だったのに突然の訃報も有り得るが、別に健康には問題無かったのに、いきなり?!ていう人は、この時期餅が原因だったりするかもね。

幸いな事に、我が家の祖父も祖母も病死でした。

餅を喉に詰まらせて死んだなんてwwwww とか思ってた人が、まさか自分も同じようになるなんて思うわけが無い。

人の行いを見て笑うものには、何らかの罰でも下るのかもね。

餅を食べるな、という事は言わない、しかし食べ方をもっと考えよう。

餅を食べるのは、命がけなんだという事を自覚しなくてはならない。

そんな私は昔、よく売られているであろうゼリー【蒟蒻畑】を、喉に詰まらせた事がある。

まだ子供だったが、本当に、ほんっっとうに苦しかった。

いや、苦しいなんて一言で済まされるような状態じゃない。 その当時、家に誰も居なかったから余計に危なかった。

運良く、ゼリーを丸呑み出来た。

蒟蒻畑はそれだけ、危ない食べ物だったんだ...(食べ方次第だが)

なので、年始早々喪中なんぞ届いたら、あーもしかして餅を喉に......と過る事であろうな。

餅では死にたくないな、ほんとに。